- 2012-03-14 :
- お寺
源頼朝出生地(誓願寺)
住所は名古屋市熱田区旗屋町243
山号は妙光山で、西山浄土宗のお寺です。
本尊は阿弥陀如来であり、
享禄2年(1529年)妙光尼日秀が創建。
ここは平安時代末期、熱田大宮司藤原氏の別邸があった所で、
藤原季範の娘由良御前は、源義朝の正室となり、
久安3年(1147年)熱田の実家に帰り、この別邸で
頼朝を生んだと言われている。
境内には産湯の井戸と言われるものが残っている。
さらに、熱田区の歴史本で調べてみると
下記のような事が掲載されています。
慶長5年(1600年)、隣火にかかり、伽藍・什物がすべて焼失した。
慶長12年(1607年)、豊臣秀頼の命によって再建。
慶長13年(1608年)、前田利家室が鐘楼を再建。
元和元年(1615年)、松平忠吉が東南の築地を新築。
寛永5年(1628年)、徳川義直が阿弥陀堂を重葺し、
方丈・書院を建立。
愛知郡中野村に100石の寺領があった。
住持は代々、柴衣勅許で、熱田上人と称し、
開山以来、代々、朝廷に参内したが、
四世照膳光の時に隔年に参内することになり、
寛永20年(1643年)、東福門院より
京都御幸町通に屋敷地を与えられ、在京中の宿坊を建てた。
正保4年(1647年)、徳川光友の意により、境内に長屋を営み、
水野弥五左衛門光綱が戸部村より、移り住み、
熱田上人後見と称した。
昭和20年(1945年)、戦災により全焼し、
戦後、国道19号線の拡幅によって、境内が半減した。
ここは熱田神宮の西にあり、道路沿にあります。
僕が訪問した時は誰もいませんでした。
源頼朝出生地案内板

山門

本堂

源頼朝産湯池

全体の背景

山号は妙光山で、西山浄土宗のお寺です。
本尊は阿弥陀如来であり、
享禄2年(1529年)妙光尼日秀が創建。
ここは平安時代末期、熱田大宮司藤原氏の別邸があった所で、
藤原季範の娘由良御前は、源義朝の正室となり、
久安3年(1147年)熱田の実家に帰り、この別邸で
頼朝を生んだと言われている。
境内には産湯の井戸と言われるものが残っている。
さらに、熱田区の歴史本で調べてみると
下記のような事が掲載されています。
慶長5年(1600年)、隣火にかかり、伽藍・什物がすべて焼失した。
慶長12年(1607年)、豊臣秀頼の命によって再建。
慶長13年(1608年)、前田利家室が鐘楼を再建。
元和元年(1615年)、松平忠吉が東南の築地を新築。
寛永5年(1628年)、徳川義直が阿弥陀堂を重葺し、
方丈・書院を建立。
愛知郡中野村に100石の寺領があった。
住持は代々、柴衣勅許で、熱田上人と称し、
開山以来、代々、朝廷に参内したが、
四世照膳光の時に隔年に参内することになり、
寛永20年(1643年)、東福門院より
京都御幸町通に屋敷地を与えられ、在京中の宿坊を建てた。
正保4年(1647年)、徳川光友の意により、境内に長屋を営み、
水野弥五左衛門光綱が戸部村より、移り住み、
熱田上人後見と称した。
昭和20年(1945年)、戦災により全焼し、
戦後、国道19号線の拡幅によって、境内が半減した。
ここは熱田神宮の西にあり、道路沿にあります。
僕が訪問した時は誰もいませんでした。
源頼朝出生地案内板

山門

本堂

源頼朝産湯池

全体の背景

スポンサーサイト