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織田信長ゆかりのお寺(凌雲寺)

住所は名古屋市中村区稲葉地本通3-18-13

案内板には下記のように記されている。

山号は集慶山で、臨済宗妙心寺派のお寺。
永正年中(1504~21)稲葉地城主津田信光の創建で、
南溟紹化和尚を開祖とする。
織田信長が幼少のころ、この寺で手習いを
したと伝えられている。
墓地の宝匡印塔には「前豊州大守泰翁玄凌禅定門
天文五年丙申十月廿八日」(1536)とあり、
信光のものであることが知られる。

津田信光はどういう人かと言うと・・・・

織田信定の子、織田信秀の弟で織田信長の叔父にあたる。
尾張守山城城主、通称は孫三郎。

天文17年(1548年)信秀に従って小豆坂の戦いに
出陣し武功を挙げ、小豆坂七本槍の一人として名を馳せた。

信秀の死後は、家督を継いだ甥の織田信長を支持し、
萱津の戦い、村木砦の戦いなどで活躍。
信長と敵対する織田信友の重臣坂井大膳の誘いに応じるふりをし、
天文24年4月19日(1555年)に清洲城に入城。
翌20日、信友を謀殺して清洲城を奪い、
大膳は今川義元の下に逃れた。

信光は信長に清洲城を渡すと、
自身は信長より譲られた那古屋城に入った。
その後、弘治元年11月26日(1556年1月7日)に
家臣の坂井孫八郎により殺害された。

法名は「凌雲寺殿前豊州太守泰翁凌公居士」

住職さんとお話をする機会があり、
教えて頂いたことは・・・

このお寺に福島正則の書状があるそうです。
多分、殆どの方が知らないとか・・・
拝見する事は出来ませんでしたが、
非常に興味を持ちました。

また、正則は関ヶ原の戦い後、
現在の駐車場辺りの土地を寄進しているそうです。
正則か、あるいは祖先がこのお寺か、
織田信光にゆかりがあるのかもしれませんね。


石碑
石碑

案内板
案内板

山門
山門1

山門2

鐘楼
鐘楼

庭園
庭園

本堂
本堂1

本堂2

弘法堂
弘法堂

織田信光の宝匡印塔
織田信光の宝匡印塔



テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

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それ以外は少し気になった史跡を
巡っています。

これらの史跡の写真を載せながら、
簡単に書いていきます。

また、史跡巡りについては
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