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尾張藩の藩校・明倫堂

現在は名古屋東照宮の境内に、石碑と説明板があるのみです。

藩校大事典で調べてみると・・・

尾張藩の藩校は初代藩主徳川義直が大津町下矢場町に
学問所を建てたのが、始まりである。
その学問所で、深田正室(一説には熊谷立節)に藩士子弟を
教授させたと云われているが、不詳である。

その後、延亨5年(1748年)、蟹養斎が
巾下埋門外元作事屋敷に学館を創設。
藩主徳川宗勝自身が「明倫堂」の三文字を書し、財政的に援助。
これが学問所・巾下明倫堂である。

宝暦元年(1751年)、蟹養斎が学問所の維持困難を訴え、
藩の助成を請願したが、採択されず、退去を要求された。
蟹養斎の私塾の性格を持っていたからである。

そんな中、天明2年(1782年)に藩主徳川宗睦が
庶政刷新の一環として、片端長島町角の御国方役所跡に
学校を設け、宗勝親書の「明倫堂」の額を移し、再興。
天明3年(1783年)に開校した。

細井平洲が初代督学(校長)となり、岡田新川、石川香山、
冢田大峰、細野要斎ら儒学者が後を継いだ。

藩士の子弟だけでなく、農民や町人にも儒学や国学を教えた。
初期の生徒数は約50名だったが、後に約500名まで増加している。
冢田大峰が督学の頃に生徒数が増加している。

天明5年(1785年)に聖堂が設けられ、天明7年(1787年)から
復刻を行なった『群書治要』などの漢籍は明倫堂版と呼ばれた。
1871年(明治4年)、廃藩置県により廃校となった。


明倫堂説明板
明倫堂1

明倫堂石碑と説明板
明倫堂2

テーマ : 史跡・歴史的遺物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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